2002.7.31 2003.7.17.2008.6.28.

江戸道(銀座通り)の裏を流れる東川の北側には「うらまち」と呼ばれる町があります。
うらまちは、その名の通り江戸道の裏に位置するまちで裏町が浦町、
そして「楽しみが有る町」と言う意味で有楽町と書かれる様になり、
現在の有楽町と呼ばれる様になりました。



 昭和9年頃の有楽町界隈の地図



かっては遊郭が何軒も立ち並ぶ花街でした。
明治・大正時代の所沢織物の全盛期、
飛行場が出来た頃は織物商や軍人さん等で
賑わっていたそうです。



大島楼、久の家、正月亭、宇治川、喜久正、春の屋(上/写真)等の遊郭
お女郎神社、検査所、置屋等もありました。
「あかつき」「タイガー」「富士」「みつわ」など
20軒くらいのカフエー(風俗営業)がありました。

戦後は風俗の指定地になり赤線廃止までありました。

現在は海老屋横丁の三浦橋際の「三好亭」がその面影を残しています。

まちの人達の台所、 青物市場跡が残っています
早朝から近郊の農家から荷車に載せられた新鮮な野菜が運ばれてきました。

曾根の坂  飛行機新道が出来るまでは、富岡地区の人達はこの坂を下り、鳥居橋を渡り、横宿を抜けて町へやってきました。
所沢が生んだ女流俳人・三ヶ島葭子もこの路地に住んでいました。
大正14年〜昭和13年まで町で唯一のプールがあり、主に軍人さんが多く利用していたそうです。
料亭
美好軒 
秋田新道を北に上がると所沢初の洋食屋・美好軒があります。
飛行場が出来た時に飛行機の教官として来日したフランスのポール大佐が好んで食べた、カツレツ等が食べられます。
横宿  町場のお稲荷さんとして親しまれている坂稲荷の参道にあたり、
昔は鳥居橋のたもとには鳥居が建っていました。
橋の右側には港屋さんの蔵造りのお店があります。
演芸館 横宿と飛行機新道の間の道に映画館がありました。
大正四年に創立され、所沢演芸館、名邦座、所沢日活、名画座と名前が変わりましたが、長い間市民に親しまれた映画館でした。
お天王様
 八雲神社 
夏の町場のお祭りとして子供頃は楽しみでした。新調した浴衣着せてもらい、
新しい桐の下駄を履いて宵宮に出かけていました。
浦町(有楽町)の皆さんが最も楽しみにしているお祭りです。
薬王寺



歴史的にも中心になった古いお寺です。
ここの境内に初めて、所沢小学校、所沢村役場が設立されました。
深井醤油 所沢の大地主で江戸時代(安政3年)の創業。「やまほ醤油」として広く販売しています。
名物所沢だんごは昔は組合でここの醤油を使用すると決められていました。
神明神社



昔から所沢の町の人達の鎮守様、鬱蒼とした緑の樹木に囲まれたオアシスです。


秋田新道・海老屋横丁・薬王寺横丁等を紹介した所沢の横丁
 



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