2002.8.282003.8.7 2010.5.11〜2010.9.30.

御幸町の東川のほとりの茶畑に巨大な白亜の映画館が誕生しました。

左の白い建物が所沢演芸館 飛行機新道と横宿の間にありました。

大正4年(1925)から、所沢町字川端(御幸町)にあつた活動常設館を町の有志が買収し、大正14年(1925)に創立された所沢演芸館です。

地元の有力者数名が発起人となり株式組織で大金4万円を集めて大正14年(1925)3月に完成、日活直営館となり「演芸館」と命名、
以来近郊、近在の人々の娯楽の場となり、三八の市や物日(盆や正月)にここへ来るのが一番の楽しみでした。

こけら落しでは楽隊の演奏、日活の名花・酒井米子嬢等の数名のスターが来場したそうです。
当時は無声映画の時代でしたので、演芸館では数名の楽士、活弁士(活動写真の弁士)を抱え、旧劇(時代劇)新派(現代劇)活劇(アチラ物・洋画)など、
それぞれ専門の弁士が付き名調子の弁には紅涙を流し、拍手喝采だったそうです。
当時の時代劇のスターは「目玉の松ちゃん・尾上松之助」が全国を風靡していました。
大正から昭和初期にかけては無声映画の時代であり、活動弁士の他に三味線、ピアノ、ヴァイオリン、チェロらの鳴り物を演奏する楽士が6〜7人もいたそうです。

演芸館は昭和19年(1944)に「明邦座」32年(1957)に「所沢日活」「名画座」と名を変え長い間市民に親しまれていましたが、
昭和45年(
1970)に閉館しました。
昭和2年に東町の庚申様の森に富士館と言う活動館が新たに出きることになり、基礎工事のコンクリート打ちまでしましたが、完成出来ず「幻の活動館」となりました。

後に小沢太郎さんが所沢歌舞伎座とともに経営されました。
小沢さんは昭和30年には現在のダイエーの所に所沢東映開設しています。








写真は昭和初期頃の演芸館内で行われた母の会での
演説会の様子です。



幼年時代は良く姉に連れられて映画を見にゆきました。
「踊る狸御殿」や嵐寛十郎の「鞍馬天狗」「丹下左膳」等を見ては手ぬぐいで変装して
チャンバラごっこをして遊んでいました。


二階に上がる時は下足番に履き物を預けて上がります。


絵画はメール友達の岩城功さんに書いて頂きました。

二階席は階段状になっていて更に高い席もあり、畳に座って見ていました。
冬は火鉢があり炭火で暖を取りながらの鑑賞でした。
映写室が一階中央にあり映写口の前を大きな大人が横切ると
人の影が映ったりしたこともありました。


入り口を入ると男子席と女子席と左右に分かれていた時代もあった様です。

ニュースでは必ず戦争の場面が出てきて
日本軍の活躍が紹介されていました

成人になってからはオールナイトで3本立ての映画をよく観にいっていました。
この頃は明画座と名前も変わっていました。











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