2002.9.1

所沢市指定有形文化財/書跡
指定日:昭和44年(1969年)6月27日
所在地:所沢市金山町

福沢諭吉は天保5年(1834年)に中津藩士福沢百助の五男として大阪に生れ、長じて蘭学を学び、数度に渡り欧米にゆき、近代文明を摂取して国内の啓蒙に勉める一方、慶応義塾を創設した人として知られています。

この書は

「不見王公語時事 唯看随処故人多 無端却被孟軻笑 
伝食四方清宴過 丙戌春地方漫遊」


と記された七言絶句です。

「丙戌春地方漫遊」とは明治19年1886年)諭吉が53歳の3月10日、全国漫遊を思い立ち東海道旅行に出発し、各地の有志に迎えられて見学や講演をおこない、京阪神から神戸を廻り、帰路は四日市より日本郵船尾張丸で4月4日に横浜に戻っています。
この間に詠んだ七言絶句です
諭吉の次女が結婚した岩崎桃介といとこであった矢部基一に贈ったものと言われています。
そして、矢部家から基一の次男が所沢市の滝沢家に招婿されたため、同家に贈られて現在に至っているものです。
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