2002.7.1

  


富士塚はもともと富士信仰に基づいて築造されますが、
荒幡の富士は村内の民心統一を意図として築かれたもので、珍しい例です。

明治時代の初めの神仏分離と神社社挌の決定で、
当時の荒幡村内の神社は同村総鎮守浅間神社が村社に列せられたものの、
他の三島神社、松尾神社、氷川神社、神明社は無挌社になり、氏子はいくつにも分かれてしまいました。
これでは村内の民心統一が出来ないことを憂えた有志者は、浅間神社を移転して、これらの無挌社を合祀し、
さらに、明治17年(1884年)には旧浅間神社境内の富士山の移築を図りました。
村民総出で築き上げられた新しい富士山は、高さ、10メートルで
明治32年(1899年)に完成し7月1日に山開祭が行なわれました。
登山道の入口に立つ「荒幡新富士筑山の碑」は国文学者大町桂月の撰文で、
荒幡の富士築造の経緯が記され、眺望の素晴らしさを讃えています。

所沢指定文化財/有形民俗文化財 指定日 昭和44年(1969年)6月27日
所沢の指定文化財より転載


浅間神社入口




浅間神社



登山道入口


頂上



新宿方面の眺望


西武ドームも目と鼻の先に見えます。


富士山の裏側にあった石仏です





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