銀座通りの元町に齋藤会計事務所さんの見世蔵の家があります。
齋藤家は町の旧家で江戸時代末期の建物としても貴重な価値のある見世蔵です。
明治16年(1883)4月、明治天皇は飯能附近で挙行された
近衛諸隊春季小演習天覧のため行幸し、
途中所沢で御休泊されるにあたり、行在所として齋藤家が使われました。
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明治天皇を乗せた馬車がこの門をくぐり家の裏の入口から行在所に入られました。
当時の門が残されています。
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明治天皇がお泊りになった奥の間8畳の部屋
最初は西側につながっていた高床の新座敷(6畳)になるはずでしたが、門の正面にあることから
警備上急遽変更になったそうです。 |
齋藤家が御下賜品としていただいた品
三つ組の木盃 一組 但し菊御家紋散模様附
紅白羽二重 二疋
金百二十五円
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「明治天皇行幸年表」によれば
16日 午前8時30分借皇居を御出門、荻窪、田無、久米川で小休止及び御昼食、
午後3時20分所沢行在所齋藤与惣次宅に到着、一泊
17日 午前8時30分、所沢行在所を御発車、黒須村(入間市)で小休し飯能町へ向い、
午前11時14分、飯能行在所金子忠五郎宅にご到着
18日 演習が挙行され、明治天皇は羅漢山(後この時に因んで天覧山と改称)を天覧所として
時には騎馬姿で演習を観閲された
19日 午前5時、飯能行在所を御出門、黒須村附近の演習を観閲し、午後1時40分、所沢行在所
にご到着、昼食をおとりになり、そのまま一泊
20日 午前8時、所沢行在所を御発車し、午後一時、環幸を終えた。
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所沢では一大盛事とあって、準備は手違いの無い様に慎重に進められました。
当日は横浜の某貿易商から買い入れた新調の国旗を各戸に頒布して掲揚し奉迎の意を表わしたそうです。
沿道筋には全町にわたって青竹の欄干を設けられて、勝手に奉迎することは許されず、小学生の生徒一同が青と黒の小棒縞の揃いの袴を着けて奉迎したそうです。
この飯能行幸の規模は供奉人総勢190名余り、他に馬車が御料馬車1台を含めて4台(牽引馬は14頭)・御料乗馬2頭・臣下乗馬23頭で宿は行在所近辺の一般民家があてられました。 |
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齋藤家では当時かなりの費用をかけてこの行幸に備えました。
表門を新築したのをはじめ、障子、襖、畳は新調、庭の植木を手入れ、砂を入れた門香石も新しくしました。
又、軸物や古器等を俳人から借用する等細かな点にも気を配られました。費用の総計は233円19銭4厘もかかりました。
ちなみに、御下賜品としていただいたのは125円でした。
家族の者は隣家に分宿し家具は一切取りかたずけられ、床には絨毯が敷かれ宮内庁が用意した調度類が備え付けられ、風呂も便所も同家のものは使用せず、もち運んできた
ものを土蔵西側の裏庭に設備したそうです。
家主の与惣次だけは礼服を着て表座敷の一隅に控えていたそうです。 |
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