私が生まれ育った家の思い出話です。

写真は昭和10年頃の生家で左側に煙草のウインドーがあり、手前に森下仁丹の看板がみえます。
右のウインドーは日本髪のカツラや髪飾りが陳列され毎月東京の商社のかたが飾り付けに来ていたようです。


私が生まれ、育ったファルマン交差点(ピンクのビルが生家) 平成15年頃撮影













天狗煙草看板



祖父林蔵の半纏



裏地には花柄が使用されている
お洒落な半纏です。

髭爺は 根岸の交差点で江戸末期から煙草、化粧品、薬、小間物を販売る商家で
1937年(昭和12年)に生れました。
所沢飛行場が近いので飛行機のエンジンの音を聞きながら育ちました。
現在は甥が5代目として後を継いで商売をしています。

両親共所沢の商家の生まれでした。

曽祖父(勘助)天保元年(1830)誕生
祖父(林蔵)文久元年(1861) 誕生
父親(金蔵)明治25年 誕生
母親(梅子)明治35年 誕生


母親の祖父は江戸道(現・銀座通り)で油商・父親は小間物商を営んでいました。


我が家は江戸末からの煙草屋で旧町では一番古い煙草屋でした。
祖父:林蔵は刻んだ葉煙草を煙草箱(引き出しがついた箱)に入れて両天秤にして近郊にも売り歩いていたそうです。
皆さんからは
坂のタバコ屋と呼ばれていました。
お店の上がりかま口には水色をした大きな陶製のナマコ火鉢があり、鉄瓶から湯気があがり、顔なじみのお客さんが来ると一緒にお茶を飲んでいた親爺を思いだします。
毎朝来るのは近所のコンニャク屋のご主人田畑さん、田中うどんのおじさん、秋田家のおじさん、旭町にあった朝倉メンコ屋さん等親爺の幼馴染の人や、時々周辺の村から、富岡からやって来る富めのおじさん、安松のおじさん、久米の叔父さんら顔なじみのお得意さんが沢山いました。
明治時代に一斉を風靡した煙草の卸商「岩谷天狗堂」の大きな木彫りの看板が店の中に懸かり、その下には沢山の引き出しが並ぶ、薬戸棚があり、大きな算盤、天秤はかり、髪油を量り売りするひしゃく、煙草盆、木製の銭函、大福帳、沢山の種類の煙管(キセル)羅宇(ラオ)等の喫煙具、森下仁丹、ウテナ化粧品、クラブ化粧品等の美人ポスターらがありました。

煙管はまだ珍しくなかった頃でした。今では無賃乗車に名を残すのみですが、あの何服か喫うと終わってしまう火種を、ごつい掌の上で器用に転がして、それで次につめた煙管に火をつける、という風景は子供にとってはちょっとした見物でした。真中の竹の部分(羅宇・ラオ)はヤニですぐ詰まると熱した金属線で溶かして通りを良くする。これが「羅宇通し」という職業で、金魚、風鈴などと同じく行商で、ピーと言う音を出しながら回ってきていました。
戦争中から戦後間もない頃は煙草は配給制になり、朝から沢山の人が並んでいました。
配給品は紙巻きではなく、刻み状態のままで、これに紙と、アルミ製で段違い平行棒の小型みたいな器具(煙草巻き機)を別に買ってきて、自分でこしらえるのです。味付けにはバニラの香りがする液体があり煙草に一・ニ滴ふりかけて使用します。紙煙草用の用紙には三省堂のサイエンスの英語の辞書が良いと巷では言われていました。
煙草は貴重品で短くなった煙草を竹製の吸い口に繋いで吸うので、一本一円でしたが良く売れました。当時は未だ芸者さんやお正月には日本髪を結うかたがいたので、「おもと」「鬢付け油」や大島の椿油を銅製の柄杓で量り売りしていました。糸も木綿、絹糸、麻糸、毛糸、木綿針、ミシン針等の小間物時には釣り竿も置いていました。
我が家は店の奥の座敷には天井に明り取りがついていました。叱られて時々屋根に登り上からガラス越しに部屋を覗き見していました。大きな檜の戸棚が押し入れと並んであり、叱られるとこの中に入れられました。子供の力では厚い戸は自力では開けられず長い間真っ暗な戸棚の中で泣いていました。
部屋の北側の上には大きな神棚があり、毎年お神明様から頂く御札が飾られています。
お正月はこの神棚に書初めを書いてつるしていました。
台所にも火の神様「荒神様」が祀られていました。
この八畳間の部屋の鴨居の上には正月になると沢山の弓破魔、押絵羽子板が飾られました。

お正月
 所沢歳時記

昔の商店は年中無休でした。元旦の朝でも煙草を買いに来るお客さんに早くから起こされます。
女の子は晴れ着を着るので髪飾りのリボンを買いに来ていました。
大晦日も夜遅くまでまで店を開いていますので、子供は早めに床につき、除夜の鐘が鳴る頃起こしてもらい父親が晦日祓いをします。、これは年が明ける前に家族全員の頭の上でお祓いをし、各部屋をまわって「お払い」をする行事です。これを済ませてから寒い中をお神明様まで初詣に出かけていました。
年末になるとお神明様から”おかまじめ”を頂きに行き、神棚に飾る御札と一緒にお祓いをする幣束(へいそく)を頂きます。これはお祓いをする道具で割り箸くらいの棒に紙の短冊が付いています。
お祓いが終わると家の外の角に刺しておきます。晦日祓いは我が家では今でも行っている行事です。
昔は年が明けると各家の角や電柱の下に北風にそよぐ幣束(へいそく)が見られたものでした。
真夜中なのに町のあちこちから人が出てきてカラコロと下駄の音が響いていました。
階段を上がると参道の両側には綺麗な飾りがついた縁起物やオカメのお面がついた熊手を売る屋台、駄菓子屋らがびっしりと並んでいます。
お参りを済ませるとお砂糖で出来た動物、鳥や金魚の形をしたキンカ糖を買い、張子のお獅子やダルマを買ってもらうのが慣わしでした。
父親は朝倉さん(現・面亀)の扇形におかめの面がついた縁起物や熊手を買って帰り神棚側の鴨居に飾っていました。お店の方達が大きな声で商売繁盛!!と言いながら手拍子を打ってくれる風景は今でも正月になると思い出されます。
又、お正月になると三河漫才や獅子舞がやってきました。
ご祝儀を口の中に入れてやったり、漫才師の打ち鳴らす鼓の音や天蓋(てんがい)をかぶった虚無僧が吹く尺八の音は今では聞く事がありません。
押羽子板を持ち出して尾張屋の隣の峯岸さんの家の前の道路で姉達と羽根突きをしました。
峯岸さんの永ちゃんには弟の様に可愛がって頂きました。
父親が麻で編んでくれた麻縄でコマをまわしたり、お年玉を持ってお庚申様へゆく道の角にあった坂本駄菓子屋で、もんじゃ焼を食べるのが楽しみでした。
鉄板の上にうどん粉で溶いた生地で動物の形や名前を書いてジュージュー焼くのが面白く姉達とわいわい言いながら焼いてたべていました。
飛行機新道の玩具屋で凧を買い、鍋屋横丁の奥にあった山口屋さんの空地で凧揚げもできました。






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